ロータリーとは
●ロータリーとは
20世紀初頭のシカゴの街は、著しい社会経済の発展の陰で、商業道徳の欠如が目につくようになっていました。
ちょうどそのころ、ここに事務所を構えていた青年弁護士ポール・ハリスはこの風潮に堪えかね、友人3人と語らって、お互いに信頼のできる公正な取引をし、仕事上の付き合いがそのまま親友関係に発展するような仲間を増やしたい、という趣旨でロータリークラブという会合を考えました。
ロータリーは集会を各自の持ち回りで順番に開くことから名付けられたものです。
こうして1905年2月23日にシカゴロータリークラブが誕生しました。それからは志を同じくするクラブが、つぎつぎ各地に生まれ、国境を超えて、今では世界165か国(2002年12月現在)の地域に広がり、クラブ数31,314、会員総数1,220,543人(2002年12月31日RI公式発表)に達しています。
そして、これら世界中のクラブの連合体を国際ロータリーと称します。
このように、歴史的に見ても、ロータリーとは職業倫理を重んずる実業人、専門職業人の集まりなのです。
その組織が地球の隅々にまで拡大するにつれて、ロータリーは世界に眼を開いて、幅広い奉仕活動を求められるようになり、現在は多方面にわたって多大の貢献をしています。
●日本のロータリー
わが国最初のロータリークラブは1920(大正9)年10月20日に創立された東京ロータリークラブで、翌1921年4月1日に世界で855番目のクラブとして、国際ロータリーに加盟が承認されました。
日本でのロータリークラブ設立については、ポール・ハリスの片腕としてロータリーの組織をつくり、海外拡大に情熱的に取り組んだ初代事務総長チェスリー・ペリーと、創立の準備に奔走した米山梅吉、福島喜三次などの先達の功を忘れることができません。
その後、日本のロータリーは、第二次世界大戦の波に洗われて、1940年に国際ロータリーから脱退します。
戦後1949年3月になって、再び復帰加盟しますが、この時、復帰に尽力していたのが国際ロータリーの第3代事務総長ジョージ・ミーンズでした。
その後の日本におけるロータリーの拡大発展は目覚ましい物があります。
ロータリー財団への貢献も抜群で、今や国際ロータリーにおける日本の地位は不動のものになりました。
現在、日本全体でのクラブ数は2,321、会員数110,722人(2003年1月末現在)となっています。
●ロータリーの目的
社会生活における人間の幸福は、他人への思いやりと助け合いにあるとするロータリーでは、国際奉仕、社会奉仕、職業奉仕、クラブ奉仕の4部門を設け、各自の職業を通じて『奉仕の理想』を推進する事を目的としており、そのために「ロータリーの綱領」の四つの道を開き『四つのテスト』に照らして反省に努めるものであります。
●ロータリーの綱領
最初の綱領は1906年
第1.会員の職業上の利益増進
第2.親交と社交クラブに普通付帯する望ましい事物の推進であって、会員親交のみであったが新会員勧誘の折、対社会的意義の欠けているクラブには将来性ないと言われ、ポールハリスは次の項目を加えた。
第3.シカゴ市の最善の利益を振興し、会員間に市民としての誇りと忠誠の精神を鼓吹すること。
綱領はその後、数度の改定を経て1935年メキシコシティー大会に於いて、現在の国際ロータリー定款第3条に記載されている次の原文になっている。
ロータリーの綱領は、有益な事業に基礎として奉仕の理想を鼓吹し、これを育成し、特に次の項目を鼓吹、育成することにある。
第1.奉仕の機会として知り合いを拡めること;
第2.事業及び専門職務の道徳的水準を高めること;あらゆる有用な業務は尊重されるべきであるという認識を深めること;そしてロータリアン各自が、業務を通じて社会に奉仕するために、その業務を品位あらしめること;
第3.ロータリアンすべてが、その個人生活、事業生活および社会生活に常に理想を適用すること;
第4.奉仕の理想に結ばれた、事業と専門職務に携わる人の世界的親交によって、国際間の理解と親善と平和を維持すること。